2011年9月のレポート

救援活動をする団体の震災救援の足しになればと願い寄付の呼び掛けを個人的に行った。反応は少なかったが思わぬ方から寄付が送られて来た。南三陸への復興支援寄付金を社会貢献共同体のユナイテッド アースに届ける事が出来た。

あいの手で活動するジーンとメグに新宿で会い、少額だが寄付金を渡せた。ヘルプジャパンの広報支援の一つに天縁募金を始めると彼等に先ず伝えた。天縁つまり10円募金の発想に喜ばれ、自分達もその普及に加われると言った。

被災者の方へ贈る日めくりカレンダーを追加注文した。カレンダーはシャロームさんの紹介で福島市の仮設住宅に住む方に届けた。東北へ支援に向かうクリスチャンの組織や一般の支援グループにもカレンダーを託したい。

9月11日
三度福島へ
大自然の大循環がバクテリアによって齎され、その自然治癒力で水も土壌も元に回復してゆくという画期的な方法を川崎に停泊しているNPOアースブルーの実験船が実証している。驚愕のこの循環システムを友人の紹介で知り、福島のNPOシャロームと共に見学したのが7月末だった。今回の福島訪問はNPOシャロームさんがNPOアースブルーに依頼したもので、ヘルプジャパンがそれに同行した。シャロームさんが借りている畑で、このシステムを取り入れ土壌改良をするのが目的だ。利権がからむと画期的で驚異のこんな素晴らしいシステムも世に出ないのが実情のようだ。

今回の訪問で、こころに響く言葉が綴られている日めくりカレンダーを被災者へお届けする。日めくりカレンダーを被災者の皆様へ、人々への心のケア―も兼ねた このプロジェクトに賛同してくれる方が現れ出した。ラジオで取り上げて下さる方サイトで紹介して下さると申し出て下さる方も現れた。

ヘルプジャパンのパンフレットや募金シールを発注して下さる方も現れた。高野山の一乗院さん 歯医者さん 建設会社の社長さん 団体の役員の方 営業に歩くと協力して下さる方々が現れ出した。救援活動は息の長いプロジェクトだ 着実に一歩一歩進もう。主が見ておられる やれるだけの事はやらせてもらおう。

友人の紹介でコンサートへ2回
友人の主催するセミナーに3回出席
友人に聖書を自宅で伝え始めた
Iパッドの講習会では基礎編と応用編を学んだ

2011年6月のレポート

6月1日
災害ボランティアとして赤い羽根共同募金から短期の助成を受ける為に申請書を提出した

6月2日
ヘルプジャパンのビデオ制作とパンフレット作りの件で千葉のライダー夫婦と打ち合わせ。

6月7日
聖書と日本フォーラムのミーティング 蓼科にて 2泊3日

6月9日
ヘルプジャパンのサイト管理者ジェイムスと引き続き蓼科にてミーティング

6月10日
客人がここ蓼科を訪れる 蓼科山荘が主の為に大いに用いられる

6月18日
4月に受けたドクター小澤の講習を基に、物資だけではなく緊急にこころのケア―が必要なことを伝える為にPTSDに関する情報発信をパワーポイントで製作。又参加者に渡す資料をパソコンに打ち込む。この大震災でこころに傷を受けた人々が心身共に癒やされるのに年数を要すること 如何に周りの理解や手助けが必要か 人様々に徐々に回復してゆく過程を、マズローの5段階欲求を併用しながら説明したものだ。これが多くの方に用いられる事を願う。

6月19日
羽田発で娘と5日間をマカオで過ごす

6月23日
帰国
6月26日

福島へ向かう 
福島市のNPOシャロームでPTSDに関するセミナー開催 質疑応答含めて2時間 シャロームさんに資料一式とプレゼン用のパワーポイントを置いて来た。千葉のマサヤライダー君がカメラマンとして同行 写真とビデオ編集は彼に依頼した

6月27日
仙台へ向かう
ホテルモントレーの一室にて同じくPTSDに関するセミナーを個人的に開いた。資料一式を民生委員で若林ヘルプの黒須さんと救援活動をする阿部牧師にも渡す事を約束

6月28日
仙台より松島へ
松島泊 
広島の宮島 宮城の松島 京都の天橋立 とどれも行って来た。この美しい日本を守らねばと強く思う

2011年5月のレポート

5月15日
親戚と友人知人家族を招いて少人数のCHARITY BBQを自宅で開いた。震災支援の為に何かせねばの一心で急きょ催したBBQパーティーのメニューは ハンバーグ ホットドッグ  サラダ数種 パスタにおにぎりと焼き鳥 ビールとつまみに飲み物その日は晴天に恵まれた楽しい一日だった。みんなで ヘルプジャパン!!

5月20日
ヘルプジャパンはPTSDに関するセミナーを渋谷のウェスリアンセンターで開いた。理事のジョッシュデサンテスが先月のドクター小澤の資料を基にプレゼンした。皆さん 熱心に聞いて下さった。

5月21日
同じ内容でセミナーを夕方から開催しヘルプジャパンのサイトに載せた。参加者少数だった。これからが大変!

5月22日
支援物資 食糧 水 被災地の子供たちへ贈るお人形や本など等を車にぎゅうぎゅう積めて、ジョッシュ理事と私は朝9時に家を出た。途中で八百屋さんに寄り 更に新鮮な野菜を仕入れた。そして東北へと発った。東北道を走る事は普段まずない。東京を抜けた所で運転をジョッシュに代わってもらった。私はナビ役、私たちは3月11日の震災以来走りっぱなしだった でも 振り返ってみれば よくここまで出来たと満足していた。途中ランチして福島市のNPOシャロームさんに着いたのは3時過ぎだった。始めて会う人達だったが、旧知の知り合いのように互いに感じられた。この方たちを 出来る事から支援していきたいと心から思った。

5月23日
南相馬から非難してきた方達はあずま体育館で避難所生活を送っておられた。救援物資を配るシャロームさんのお手伝いをしながら皆さんの事情も伺えた。PTSDをする状況では到底なかった。体育館にいた子供たちにぬいぐるみを渡す事ができた。やりたかった紙芝居もした。こどもはくったくなく遊んでいた。大人は着の身着のまま逃げて来て、タイ政府からのジャンパーの贈り物はたいそう感謝され、奥様方は家族の分 お父さんにも 息子にもと欲しがられた。まずは愛する家族だ。こちらも必要な物をさし上げられる喜びがあった。

5月24日
仙台へ向かった。YMCAで一晩泊まった。ボランテイアの方たちと一緒に寝袋で雑魚寝した。クリスチャンのボランティアの方が、主に泊まっておられた。仙台ではNGOや大きな団体が拠点を築き、支援活動をしていたが、地元民生委員の黒須さんと知り合いになった。彼から被災地や被災者の状況を説明され、津波に襲われた荒浜海岸一帯を案内された。黒須さんは、後に若林区の仮設住宅者の自立支援をヘルプすることになり、ヘルプジャパンも彼らを広報支援する約束をして来た。

5月25日
仙台から車で2時間半で南三陸へ行った。
5つ星ホテル ホテル観洋に泊まる。水は出ない。飲み水もちろん無し、部屋に小さなペットボトルが一本置いてあるだけ、外の簡易トイレを使用し ホテルは避難所として使われ 子供たちがここから学校へ通う 従業員さんがお見送り でも、みんな助け合って いたわり合って 元気に過ごしていた 日本人の健気さに驚くばかりだった ここ南三陸は何もない 何もないのに人のぬくもりだけがあった南三陸で支援活動をフル回転でしているOGAのORTIZ FAMILYと行動を共にした。コロンビア人の宣教師 アンドレアはパパと呼ばれて 地元の皆さんに信頼され、愛され彼らの中に溶け込んでいた。なんと頼もしい助っ人だろうか

5月26日
福島へ戻り 飯館村の決起大会を兼ねた最期のイベントに参加する。報道カメラマン テレビの報道関係者が大勢 飯館村体育館に取材に来ていた。原発反対の社会活動家 加藤登紀子さんが歌を披露し、彼女のトークにしばし村民は癒されながらも、村を出て行かされる側の決意を新たにしていた。ホントにお気の毒 言葉も無い 私も悲しい 悔しい どうしてくれる 国は何をした 東電は何をした 怒りがこみ上げて来る。

5月27日
帰京 

2011年4月のレポート

青森に住むOrtizファミリーが支援物資を東京でも集める為、六本木のクラブでチャリテイーPartyを開いた。ヘルプジャパンも参加した。
クレヨン塗絵おもちゃ等、こどもの喜びそうな物を可愛いバッグにイロイロ詰め、被災地の子どもに渡してもらうために六本木のクラブへ出かけた。
そこで始めて OGA の代表 Ortiz ファミリーのアンドレアに会った。 社交的でパワーフルなコロンビア出身の宣教師だった。

4月8日
子ども達の通った成城ナーサリーの母親の支援も得ようと父兄の家を回った。 同情はしても被災者の痛みを他人事と捉える人が多い中、支援を申し出る人もいてこちらも元気づけられた。

4月9日
写真家でミュージシャンのアートなマサヤライダー氏にヘルプジャパンのビデオ取りに協力してもらった。震災支援に使うビデオシューテングは中々上手くいかず、NG ばかり。緊張すると なお失敗、それでも何とか終了。根気よく付き合ってくれたライダー君が 編集したビデオはヘルプジャパンのサイトに英語と日本語で載った。

4月14日~
長野県の諏訪大社で4月15日に毎年恒例で行われる御頭祭という神事を見学に行った。 関与する聖書と日本フォーラムの団体が開いた研修会も兼ねたものだった。 参加人数50名前後

4月16日~
引き続き長野県蓼科にてミーテング。新潟のジェイムスと神戸のジョッシュが東京から行った私と蓼科で落ち合い、各自分担でヘルプジャパンのサイト作りに専念した。

4月25日~
ヘルプジャパンのパンフレット製作に取りかかる。 飛躍の専属デザイナーよしみライダーと打ち合わせで千葉へ出向く。

4月27日
青山のウェスリアンセンターにて、ドクター小澤による PTSD に関する2時 間セミナーに参加。ドクター小澤は心理学者で精神科医そして日系三世の牧師という立場から、PTSDに関する知識を豊富な経験を基に素人にわかりやすく説明された。又手だてとして私たちに何が出来るかを大変わかりやすく教えて下さった。このPTSDセミナーはジョッシュ理事も神戸で受けた。これがきっかけとなり、後に私たちは独自のPTSDに関するセミナーを開いていく事になった。

4月28日
PTSDに関する別のセミナーをお茶の水のクリスチャンンセンターで欧米の宣教師達から受けた。しかし、前日受けたセミナーの内容が数倍良かった。PTSDに関する情報を提供し支援に参加するヘルプジャパンにとって、この対照的な二つのセミナーに続けて参加出来たのは幸いでした。

2011年3月のレポート

社会貢献する奉仕団体のヘルプジャパンが震災救援活動を始めて半年が経ちました。PTSDに関する情報を発信し長期にわたり“心のケアー”をする事を願い参加しています。此処に毎月一回、その月に活動した内容をレポートします。

2011年3月
3月11日
夜に開かれるはずだった国家晩餐祈祷会の準備の為、新宿の京王プラザホテルにいた。当日、配布する大量の資料を皆で袋詰めしている時、大きく長く地の基が不気味に揺れた。この地震は後日、東日本大震災と名付けられた。晩餐会は中止で少人数の断食祈祷会となり集まれた全員で祈った。

3月12日
NPO 飛躍28の理事、ジョッシュ.デサンテスの提案で震災救援に参加を決める。名付けてヘルプジャパン、私たちは現地に拠点を築けないので、実際の救援活動をする人たちを側面で支援しよう,又PTSD に関する情報を発信し、心のケアーで参加しよう、そして、海外とのネットワークを使い、バイリンガ ルで世界へ情報発信し、海外からの支援を得よう、この三つが即決された。

3月12日
この内容で初回のビデオ撮りをした。私たちは英語と日本語で発信し、ウェブ サイトを新潟に住む、友人の宣教師ジェイムスに依頼した。彼は快く応じた。

3月13日
数日後に控えていた杉並公会堂での飛躍の初イベントは延期となり、その対応に終日追われる。

3月24日
犠牲になられた方々の魂が癒されご冥福を祈る追悼コンサートがしたいと思い、早速 来年の3月11日分として、杉並公会堂に予約を入れる。

3月25日
被災地へ届ける支援物資を得ようと時々行く市場へ買い出しに出かけた。飲料水、米、麺類、味噌、醤油、缶詰、カレーの素、レト ルト食品、ヌードル、卓上コンロ、ボンベ、チョコレート 菓子類、思いつくままに買う。

3月26日
日本中が混乱する中、始めての救援物資を青森の OrtizファミリーOGA に送った。東北に知り合いおらず、OGA の事は何も知らなかったが、友人の友人というつてを頼りに物資を送った。

南三陸の子供たちへ

はじめまして、

げんきにしていますか?
夜は眠れていますか?
ごはんもちゃんと食べていますか?

おばさんも、日本のことや、みんなのことを、とても気にしています。
みなさんに会いに行きたいですが、今はいかれません。

アンドレアさんがみなさんに会いにいくと聞いたので、
いそいでプレゼントを用意しました。
気に入ってくれるとうれしいです。

お父さんもお母さんも、みなさん、とっても怖いおもいをしたのですね
でも、これからはだいじょうぶ!
あんなに怖い思いはもう二度としません!
みんなで支え合って生きましょうね。

おばさんは今、だんなさんと犬一匹でトウキョウに住んでいます。
イヌのなまえはタロー、私はイシカワといいます。
だんなさんといっしょにプレゼントをつめました。

では、みなさん、元気でいて下さいね。
いつかあいたいですね

トウキョウのおばさんより